3人の男の子のママ、いちのです。(@1_non_s1)
出産を3回しましたが、3回ともほとんど母乳育児をすることができませんでした。
毎回、「今回こそは!」と思うのですが、うまくいかないものです。
この記事では、完ミだったけど3人とも元気に育ったことを伝えたくて書きました。
ミルク育児に悩んでいるママに届きますように。

長男のとき
母乳育児を希望していた気持ちとは真逆に、母乳の出がとても悪かったです。
入院中に母乳育児を軌道に乗せられず、不安を残したまま退院。
飲みにくい乳頭だったため、乳頭保護器を使ってがんばって授乳していました。
乳頭保護器にはとっても助けられました。
でも母乳後にあげるミルクの飲みっぷりがよすぎて、長男に申し訳ない気持ちに。
退院1週間後、1か月後と産院で体重測定があり、助産師さんに授乳を見てもらいましたが、
「このままがんばれば大丈夫」と言われがんばりました。
でも家に帰ると母乳はうまくいかず、母乳後のミルクは必ず全部飲み切る長男。
体重の伸びも問題ない。つまりミルクの量は適正、母乳は飲めていない。
どんどん追いつめられて行きました。
疲れも溜まり精神的にも辛くなってきて、だんだん長男も母乳を拒否するように。
産後3か月で完ミになりました。
最初の母乳はたった3カ月で終わったんです。
3カ月間ミルクを全部飲んでいたので、実際はほとんど母乳は飲めていなかったんだろうなと思います。
でも当時の私は、3カ月でも母乳をあげていたと思いたかったんです。
完ミに移行して、5カ月半で離乳食。10カ月くらいにフォローアップミルクになりました。
卒乳はすんなりで、1歳3カ月のころにはフォローアップミルクも卒業しました。
次男のとき
今度こそ母乳育児を!そう思った2回目の出産。
出産2日目には胸の張りを強く感じ、眠れないほどでした。
これなら今回は母乳でいけるかもしれない!希望を感じました。
飲みにくい乳頭であることは変わりなく、長男のときと同様に乳頭保護器を使用。入院中は、だんだんと直接母乳を与える練習をしました。
小さめで生まれた次男は母乳を吸う力が弱く、ミルクを併用。
それでも長男のときよりは母乳を吸ってくれ、胸も張るので搾乳するほど。
このままがんばれば憧れの完母!
しかし長男の嫉妬が想像よりもひどく、授乳しているときはずっと泣いていました。
私が母乳をあげていると邪魔をし、ミルクをあげようとすると奪われる。
それでもがんばって母乳を続けていましたが、6カ月で限界を迎えます。
私は音を上げてしまいました。
母乳をやめ、パパがいるときは次男のミルクはパパがあげることが増えると、長男の嫉妬は収まってきました。
6カ月になるまでに、母乳の時間はどんどん短くなり、出る量も減ったと思います。
母乳を飲んでもらえず胸が張って辛い、とは感じなくなっていました。
三男のとき
懲りずに今度こそ母乳を!3回目の出産です。
産後の胸の張りは3回の出産で1番。入院中は助産師さんに搾乳してもらいました。
最初は乳頭保護器を使いましたが、入院中に卒業。直接飲ませることができて安心しました。
とってもよく寝る子で、授乳後3時間くらいは寝ていました。
その間胸が張って、起こして飲ませるほど。
完全に母乳育児ができると思っていました。
1週間後の産院での体重測定、なんと体重がほとんど増えていなかったんです。
ショックでした。
三男は吸う力が弱く、母乳を飲んでいる間に疲れてすぐ寝てしまう。充分に母乳を飲めていないとのことでした。
母乳は続けて大丈夫だが、吸う力が弱くても飲みやすい哺乳瓶での授乳を指示されました。
ミルクも足してあげるように、と。
三男に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
「もっとミルクをあげればよかった、気づかなくてごめんね」
その日から母乳は片方5分と決めて、ミルクを足すようにしました。
体重が増えてきたら、母乳の時間を増やしました。
それでも体重の増えが心配だったので、ミルクも併用。
9カ月くらいまで母乳をあげていましたが、ミルクの割合がだんだん増えて行きました。
上の子の世話も忙しく、母乳+ミルクをあげる時間の確保が難しかったんです。
母に預けて幼稚園の行事に行くこともあり、母乳の時間が減りました。
次第に母乳を欲しがらなくなり、母乳終了。
同時に、ミルクからフォローアップミルクにしました。

母もミルク育児経験者
ミルク育児に強い罪悪感を持っていた私ですが、母もミルクで私を育てたので寄り添ってくれました。
私の体も心配してくれて、積極的にミルクをあげてくれて、とても感謝しています。
経験者の言葉は胸に刺さりましたが、それでもやっぱり完母には憧れました。
「ミルクなら誰でもあげられるから、休めるよ」
「腹持ちいいから、夜もよく寝てくれるよ」
励ましてくれて心が軽くなるも、母乳を諦めきれませんでした。
心に響いた、母乳が出なかった祖母の言葉
ずっと母乳育児への憧れに囚われていた私。
そんな私に、祖母が何気なく言った言葉が胸に響き、完ミの罪悪感をすごく軽くしてくれました。
「ばあちゃんのときは粉ミルクはなかった。ばあちゃんも母乳が出なくて、もらい乳に歩いたんだよ。
いつももらえるわけじゃないから、ヤギのミルクをあげてたんだ。」
70年近く前の話です。
祖母の話を聞いて、私ってすっごく恵まれた時代に赤ちゃん育ててるんだな、と胸が熱くなりました。
母乳が出なくても、安心で安全な粉ミルクを、赤ちゃんが望んだだけ飲ませてあげられる。
感謝の気持ちでいっぱいになり、ミルクでもいいじゃないか、と思えました。
完ミでも大丈夫と伝えたい
完ミの劣等感と罪悪感は、簡単には消えません。
どうにかして心の折り合いをつけて、育児をしていました。
過ぎてみてようやく、母乳でもミルクでもどっちでもいい。
子どもが健康で元気ならいいじゃん!
そう思えるようになりました。
どっちでもいいんです!
元気に育てば、それだけでいいんですよ。